
新年最初の話題としてふさわしくないかもしれないが、話の流れでいたしかたない。
人が無くなると四十九日という法事を行なう。あれは人が死ぬと中有というカオスのような状態に留まり、49日目になした業によって生まれ変わり、そのときに縁者たちが自分のなした善業を回してあげて(回向)よりより再生をしてもらう儀式である。
ところで仏教では無我を説く。モノにも我にも実体はないと。それならば業を保ちつつ、輪廻を繰り返す主体は何なのであろうか。これが大いなる矛盾である。後に唯識などはこの業をつたえる主体を「相続識」などと説明するが、これもちょっと苦しい。ちなみに霊魂などは釈尊は明確に否定している。
これは不了議の教説。いいかえると方便ということになろう。つまり初学者に納得させるための理屈であって、一定のレベルまで達すればすてさられるべき教説。たとえをもってすれば、川を渡るために使ったいかだを陸に上がってもかついでいく人はいない、というわけだ。
仏教はこの手の「対機説法」が多いので、お互いが矛盾するような教えが多くでてきて混乱に拍車をかけている。


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