よく時代劇などで悪役として登場するのが、白衣に錫杖をもった山伏である。どうも山中での修行を旨としたところから関所を通らなかった(通行手形の免除を受けていた)ところから、その偽者が横行し悪役のイメージができたようだ。正式には修験道といい開祖は役小角とされる。山岳信仰に神道・密教・陰陽道などの諸要素が混成したもの。中世には聖宝を中興と仰ぎ、醍醐寺三宝院を本拠とする真言宗系の当山派と、増誉を中興と仰ぎ、聖護院を本山とする天台宗系の本山派が興った。 要するにあらゆる信仰を取り入れていったともいえるが、わたしはこの修験道の中核は山岳信仰だと思う。山に恵まれた日本では、山の与えてくれる恵みや山のもつ一種独特な霊気を感じとるこ機会が多く、そうした中から生まれてきたもので、儀礼や形式を密教を中心とするさまざまな宗教から取り入れているだけで、基本的には人間の素朴な偉大なものへの憧れと恐れが生み出したものではないだろうか。 山にはいってビバークするとわかるが、なかなか寝られるものではない。山のもつ霊気が小さなテントを押しつぶすように感じる。また欧州では環境汚染が深刻なのに対して、日本ではそこまで追い詰められていないのも山のおかげでもある。そうした意味でも山に入ったことのない人まで山の恩恵を受けていると言える。その山に絶対信仰をもつ気持ちはよく理解できる。空海もこのことを充分認識していたはずで、四国や紀伊半島の山はほとんど踏破したと推測できる。 それゆえ当然ながら理論的な背景はあまりない。修験道の体験などに参加すると、説法は一般的道徳のようなもので深い教理はない。自分自身が体験することが重要なのだろう。 高野山を訪れたとき同じ電車に乗り合わせた修験者の集団は、酒をのみ漫画を読みふけっていたことが記憶にある。あれは本山派の山伏だったのだろうか。 記事が評価できたらクリックしてください 人気blogランキングへ アマゾンでお買い物はこちらから お買い物なら楽天市場 地ビールの楽しみ ![]() |
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